まんじろう日記

がんサバイバーの軌跡

今日は僕の人生の節目です

こんにちは。まんじろうです。

 

養育費が本日をもって完済しました。平成14年2月から払い始めて約16年半。

これで終わりだと思うと唯一の繋がりが無くなりとても寂しく虚しいなと思う反面、これから自分がさらに新しい人生を思い切って歩み始める事が出来るという希望やワクワク感。

でも、これで終わりではなく、あくまで節目であり、この気持ちは一生背負い続けなければならないもの、だけれども、ここまで自分が生きてこれたことを考えると、とてもありがたく、また、なによりも子を育ててくれた元妻とその周りの方々に感謝です。僕の想像を越える苦労があったかと思います。本当にありがとうございました。

 

僕が高校卒業後、自衛隊に勤務していた頃、仕事は忙しく厳しいながらも周りの方々の協力のもと楽しく過ごしていた時期がありました。仙台市に住んでいた9年間です。

自衛隊勤務10年目にして、転勤で地元秋田に帰ることができました。しかし、そこに待っていたものは、慣れない新しい職務と帰宅できないほどの激務と難しい人間関係でした。

秋田に住んで半年後の9月、ちょうどニューヨークでテロがあった時期です。とうとう出勤できなくなりました。またちょうどその頃、計算を何度やっても間違えるなど様々な普通ではありえない行動が起こってました。はじめて自殺を意識したのもこの頃です。様子がおかしいので病院に連れていってもらいました。【うつ】と診断されました。その頃の【うつ】はまだ世間に認知されてなく、今ほどメジャーではなかったので、周囲に理解していただくのに大変でした。また働き方改革なんて程遠い時代でしたので、残業はしても正当な手当てはもらえませんでした。サービス残業、毎日残業、休日出勤は当たり前でしたので、今にして思えば病気になって当然でした。

そして休職。

他のスタッフに多大な迷惑を掛けてしまいました。大変申し訳なく思いましたが心身ともにボロボロで、翌年7月に自衛隊を退職しました。

 

当時、僕には家族がありました。休職後すぐ、翌年1月に別れました。【うつ】で冷静な判断ができなかったのですが別れました。でも病気であれ、なんであれ結果的には自分が【愛する努力と愛される努力を怠った】ことが一番の原因だと思いました。子供とも別れることになりました。子供と別れた事が一番なによりもキツかった…。今日まで1日たりとも忘れたことはありません。

とはいえ、自分が起こしてしまったこと。子供に対して大変申し訳なく、言葉で詫びても詫びきれないと思っています。

 

ただ言えることは

こんな過去があったからこそ、今の僕がいます。たくさんの失敗があったからこそ修正しながら今の僕がいます。これからもたくさんの失敗や挫折を繰り返しながら魂を磨き、成長していきたいと思います。